作者の9月17日との向き合い方

2024年09月15日 18:51
カテゴリ: ブログ 日記

これまで電球食人びゃッこパス、およびビヤッコバースは、作者の単なる誕生日を「大星祭週間」などの言い換えをして遊んで来ましたが、このたび「ありし日のビャッコパシティ」において明確に決めていなかったパシンの命日を9月17日にしてみたいと思います。

パシンやマデンスなどのパシアン人のほとんどは、元の人間の姿から一度転生した姿なので、その日をパシアン人としての誕生日として扱っています。
小説内でパシンとマデンスが生まれ変わったタイミングはほとんど同じで、ある意味の兄弟感を出すため、「発明」の語呂合わせで「5月20日(はつかのメイ)」ということにするつもりでいたのですが、ここでひとつアイデアが。

マデンスの旧名「ヴィクター・フランソワ」は、名前のモデルとなったマッドサイエンティスト「ヴィクター・フランケンシュタイン」から取ったものです。
そして、フランケンシュタインの怪物のビジュアルの原点として最も有名な1931年版の映画の初公開日が、なんと5月21だったのです。

偶然にもパシマデの誕生日候補と1日違いだったので、ふたりの改造手術に要した時間を考えれば1日ほど時差があってもおかしくないと思い、今後は

・5月20日がパシアン人パシンの誕生日
・翌日21日がパシアン人マデンスの誕生日

という扱いにしていきたいと思います。

さて、こうする本来の誕生日だった9月17日に空きができます。
もともと、作者は子供の頃から誕生日や正月などの特別な日の朝にいつもと違う挨拶をされるこに違和感を覚え、少し気持ち悪さのようなものがあり、その感覚に引きずられて、今でも誕生日をそのまま誕生日としてアピールすることへの抵抗感が残ってしまっているのです。
有名人の誕生日などでも「◯◯生誕祭」といった感じのハッシュタグを目にしますが、アレも自分に使われるのはなんとなく居心地の悪さを感じてしまうのです。
自分のキャラクターに誕生日があって、それを祝われるのは大いに嬉しいことなのですが、自分自身に限ってはそうもいかないのです。

当然、人から何かを祝われることは嬉しいし、祝う側の祝わせてほしいという思いも理解できるので、尊重したいのですが、どうにかしてこの自己矛盾を解決したかったのです。

かねてより、作者には「自分が生きているうちは自分の追悼イラストを見ることができない」という思いがあります。
ちょうどいいところに、作者が自己投影したキャラクターが作中で死んだ作品が手元にありました。
ということは、自分が生きていながらも、すでに死んでいるという条件はクリアできてしまっていますね?

なので、「ありし日のビャッコパシティ」でパシンが死んだ日を、本来作者の誕生日であった9月17日にして、生誕祭タグの代わりに「パシン生前葬(+西暦)」といった形式にしようと思います。

今年は #パシン生前葬2024 になります。
もしこの日に合わせてイラストを投稿してくださる場合は、#電球食人戯画 もあわせていただけると嬉しいです。

こうなると、今度は #大星祭週間の扱いをどうしようかと悩むのですが、ここら辺は「ビャッコパシティで9月半ばに祭りが1週間続く時期がある」という感じにでもしようかなと今のところ考えています。

実際、作者も誕生日にパーッと派手なご馳走を食べるのではく、誕生日に何かできそうなぐらいの予算を一週間分に分けて、その週はいつもよりちょっといいものを食べたりして、薄く長い喜びを味わっています。

最後になりますが、万が一、この投稿を読んでおらず、9月17日をそのまま誕生日として祝ったたりする人や、本当に作者が死んだあとに追悼イラストを投稿する人や、「パシン生前葬」というタグをアンチ活動と勘違いしてしまう人が現れても、むやみに攻撃したり、売名行為などとみなしたりしないであげてください。

こういうのは知らないと間違えますし、ただでさえややこしい作者の性格を、できるだけエンタメ化して面白く消化したいという思いがありますので、どうかご理解していただけると助かります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今後とも電球食人びゃッこパスをよろしくお願いします。

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